学校は地域とともに ~震災の爪痕を越えて育まれる地域の絆~

学校は地域とともに ~震災の爪痕を越えて育まれる地域の絆~

能登半島地震から二年余り、石川県学校生活協同組合のご協力のもと、能登半島地震で被災した珠洲市立宝立小中学校を訪ねました。

復興が進む街並みが見られる一方で、校舎には今も震災の爪痕が残されています。

しかし、その学校には子どもたちの学びを支える教職員、保護者、地域の人々の姿がありました。

 あの日のつめ痕

私たちが到着し、校舎内を歩くと、校舎同士をつなぐ渡り廊下が目に入ってきました。

「向こうから見ると分かるんですが、廊下が傾いてしまっていて。応急処置はしているのですが・・・。」と校長先生。

校舎と校舎をつなぐ廊下にできてしまった段差をつなぐ為に、手作りのスロープがありました。

その近くの壁にも損傷がありました。

↑廊下の奥の壁には斜めに走るひび割れが残っています。 

↑水飲み場近くのコンクリートも大きく割れてしまっています。

 

↑石川県珠洲市立宝立小中学校 古道校長先生にお話を伺いしました。

混乱の中で始まった学校再開

「1月4日に初めて学校へ来たんですけど、本当にひどかったですね。」

地震直後は道路が寸断され、学校へたどり着くのも一苦労でした。

「どこも通れなくて、遠回り、遠回りして。今ならそんなに時間はかからないんですけど、当時は学校へ来るのに2時間くらいかかりました。」

学校には避難者が集まり、教職員自身も被災しながら対応に追われました。

それでも珠洲市は、できるだけ早く子どもたちの日常を取り戻したいという思いから、1月22日に3学期をスタートさせました。

「使える教室が限られていることと、津波も多少あった中で教材教具がちゃんと整っているのか、を確認しながら、スタート直後はやっぱりこちらからプリントなどを教科書代わりに準備して授業するっていうような形を取っていたかなと思います。」

当時を思い出しながら話す校長先生の言葉の端々から、混乱の中でも学びを止めまいとした先生方の姿が伝わってきました。

↑傾いてしまったままの水飲み場

 

子どもたちの笑顔が戻ってきた

震災後、多くの家庭が二次避難を余儀なくされ、児童生徒の数は大きく減ってしまいました。

「金沢など市外へ出た子もいて,半分になりました。」

仲の良かった友達との別れ。突然変わってしまった日常。

子どもたちの心にも小さくない影響がありました。

「残った子どもたちも寂しかったと思います。同級生が離れていきましたから。」

それでも、中には大きな学校へ転校したものの、戻ってきた子どもたちもいたそうです。

その話をする時、校長先生の表情がふっと和らぎました。

「戻ってきてくれた時はうれしかったですね。」

「少し人数が増えるだけでも学校の雰囲気って変わるんですよ。」

小規模校だからこそ、一人増える喜びもまた大きいのでしょう。

子どもたちの心に寄り添い続ける

現在の子どもたちは元気に学校生活を送っています。

ただ、震災の記憶がなくなったわけではありません。

「今回の熊本など別の地域でも地震のニュースがあると、フラッシュバックというか、不安になる子もいます」

学校ではスクールカウンセラーによる面談や授業を継続しています。

「震災前より、スクールカウンセラーさんのありがたみを本当に感じますね。」

それは子どもたちだけではありません。

「授業や個人面談もします。またやっぱり子どもたちだけでなく教職員にも心のケアは続けていかなければと思っています。」

校長先生の言葉には、子どもたちや教職員一人ひとりを見守るまなざしが感じられました。

 

「学校だけでは成り立たない」

取材中、校長先生が何度も口にした言葉があります。それは、「地域の支え」です。

「本当にいろんな方から元気をもらっています。」

震災後だけではなく、もともと学校と地域の結びつきは強かったといいます。

「昔は学校から地域の方にお願いすることが多かったんです。でも今は地域の方から『こんなことできますよ』『こんなのどうですか』という提案もいただけるんです。」

その中心にあるのが、「ふるさと珠洲科」と呼ばれる総合的な学習の取り組みです。 

1年生から9年生(中学3年生)までが、地域の方の畑を見学したり、自分たちで調べたことを発表したりします。 

「地域に愛着を持ってほしいですね。将来、戻ってきて何かしようかなと思う子が一人でも増えたらうれしいです。「地域と一緒に歩いていく学校でありたいと思っています。」と話してくださいました。 

また保護者によるお祭りに向けての太鼓の練習などもあるそうで、学校の学びは教室の外へと広がっています。

「学校だけではもう成り立たない時代です。地域と一緒に歩く学校でありたいと思っています。」

祭りがつないだ故郷との絆

そして「ここまで来られてよかったなと思うのは、やっぱり祭りですね。」

そう言って校長先生が強く語ってくださったのが、8月第1土曜日に行われる宝立地区のキリコ祭りでした。

震災と津波によって、キリコを保管していた小屋は流失し、6基あったキリコも残ったのは1基だけでした。 それでも祭りを途切れさせることはなく、保護者や地域住民が力を合わせ、子どもたちも参加しながら祭りを続けています。

「基本、能登の人間は祭り好き。祭りが嫌いな子もあんまりいないですよ。」

そう言って笑います。

二次避難で地域を離れた子どもたちも、この日の祭りだけは戻ってきます。

「今年も久しぶりに会って、一緒に交流していましたね。」

そして校長先生は、少し表情を和らげながら続けました。

「学校では見られない笑顔が見られるんです。」先生のその言葉がとても印象的でした。 

「本当に生き生きしていて。逆にこっちがパワーをもらうんですよ。」

学校では先生と生徒。けれど祭りの日は、地域の子どもとしての顔が見える。

そこには震災を乗り越えようとする地域の力がありました。

「能登の人間は祭りがなくてはならんものなんです。」

校長先生は続けます。

「離れていても、祭りだけは帰ってきたい。そういう人は多いと思います。」

祭りは単なる行事ではなく、人と人を結び、故郷とつながり続けるための大切な場所になっているのでしょう。

「子どもたちの意欲を守りたい」

校舎には今も修繕を待つ場所が残っています。ひび割れて傾いてしまっている水飲み場はじめ、段差ができてしまった廊下や、応急処置のままになっている壁などもあります。

「やっぱり元の形に戻ってくれればうれしいですね。」

復旧が続く一方で、地域の学校との統廃合の議論も進み始めています。

そして今、この学校には子どもたちの笑顔があり、支え続ける保護者がいて、地域の人たちの力があります。

「本当にいろんな方に支えてもらって、みんな元気をもらっています。そして子どもたちの意欲を無くさせたくはありません。」

取材の最後に聞いた校長先生のその言葉が、この学校の今を何より表しているように感じました。

大きな震災を乗り越えてこそ、学校を支える地域の人々の絆は変わることなく、むしろ更に強い絆で学校を見守り、子どもたちの学びと成長を支えています。

↑今年も元気な子どもたちをあたたかく見守るひまわりの花。

学校へ向かうまでの能登の様子

学校へ向かう道中では、家屋が倒壊して更地になった土地が見られ、道路の復旧工事も続いていました。

↑道路の完全復旧には10年かかる見通しとのことです。

     ↑傾いてしまった電柱。電線は新しくなっているそうですが、電柱の交換はなかなか進まないとのことです。

        ↑地震でめくれ上がってしまった旧・のと鉄道能登線の終着駅だった珠洲駅

↑軍艦島こと見附島も地震で崩れて形が変わってしまいました。震災前は歩いて渡れたそうですが、この辺りは沈下し、渡ることができなくなってしまったそうです。

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